西郷隆盛の「苦渋の選択」 ~侍(さむらい)の中の侍が「サムライ」を排除する~
2010年3 月 2日
薩摩長州中心の新政府軍と徳川幕府軍との戦いで、新政府軍が勝利した鳥羽・伏見の戦い。新政府軍の総指揮官が皆さん御存じの西郷隆盛である。明治政府は中央集権を達成し、市民平等、結婚の自由など日本に近代国家が確立された。
一方、維新に貢献したが近代国家にとって不要になっていたサムライの兵隊40万人を排し国民全員が兵隊になるという国民皆兵制度の導入が新政府として不可欠であった。これを断行すると、当然サムライからの強烈な反発が予想された。これを断行できる人物は武士の絶対的カリスマであり、明治維新に大きな貢献した西郷隆盛しかいないということで彼に白羽の矢が立った。
薩摩藩主である島津久光の大反対もあったが、「恨みは自分に全て帰せば良い」と言って西郷は苦渋の選択をし、1982年に「全国徴兵の詔」が出される。700年続いた武士社会がここに幕を閉じた。
明治維新の総仕上げとなる「国民徴兵制」や「廃藩置県」で日本の近代化に大きく貢献した西郷であるが、維新後最大の内戦と言われた「西南戦争」で、西郷は明治政府の反逆者になってしまう。そして明治政府と戦うという悲劇になり、命を落とすことになる。
NHK大河ドラマ「竜馬伝」の放映で坂本竜馬が脚光を浴びているが、日本が封建国家から近代国家へと変わる中で、明治維新という一大革命の原動力となった西郷隆盛も小職が好きな人物である。
(2010年2月25日)